先の戦争のことにも想いを馳せられたことのある皆さま、
終戦記念日が近づくと色々な新聞、テレビで多くの報道特集が組まれます。先の戦争を経験された方々の高齢化がますます進み、戦争の語り部がこの3年間だけで3割増えたという報道にも遭遇しました。即ち、つらく人に言えない戦争の苦しい体験(加害、暴行とか幼児の放棄など)は語らずに墓まで持っていこうと決意されていた方々が、やはり最後にその経験を後世に残しておくべきと思われたから・・という解説がありました。
そのようなことに配慮し、終戦に関連する声明の全文を改めて見ておこうと想い、次の4件の声明を探し、目を通してみました。4分半と言われる玉音放送の全文とその口語訳には初めて見る機会となりました。
①1945年8月15日 昭和天皇の玉音放送(4分半)、「終戦の詔勅」(添付1)
②2010年8月10日 菅首相談話、「日韓併合首相談話」(添付2)
③1995年8月15日 村山談話、東アジア諸国への陳謝を含む首相談話(添付3)
④2010年8月5日 潘・国連事務総長の長崎訪問演説、核廃絶に向けて(添付4)
日本では昭和20年(1945年)8月15日が「終戦」の日(終戦記念日、敗戦記念日)とされ、その前日の夜に日本政府が降伏文書であるポツダム宣言の受諾を中立国のスイス、スウェーデンの日本公使館を通じて予告し、15日正午に(昭和)天皇の玉音放送、「終戦の詔勅」がNHK(ラジオ)で全国放送されました。
本日は、その終戦日から65周年にあたる日であることもあり、日本の先の戦争(3種類の呼称:第二次世界大戦、大東亜戦争、太平洋戦争)の終戦(敗戦)に関連する代表的な以下の声明の全文をピックアップし、改めて味わうことにしました;
ちなみに日本は、8月15日を終戦の日としていますが、連合国側では対日戦争を終えた日として、日本政府が降伏文書であるポツダム宣言に調印した、1945年9月2日を「対日勝戦記念日」としています(添付5)。韓国では、8月15日を終戦記念日としていますが、その日を、「光復節」と称しています。
こういった歴史を顧みて感ずることは、
日本の国民の行動パターンに感じられる、「親方日の丸」からのものに何でもハイハイと従ったり、指導してもらうことを期待したり・・という特性から独立心を持つことに舵を切る必要があるのではないかと感じられたことでした。
2010年8月15日(日)
MM
添付1
終戦の詔勅-玉音放送-(1945.8.15正午) 原文と口語訳
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。
抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである。
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。
惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。
編集者より
「・・・堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び・・・」
この断片だけはよく知られている玉音放送(終戦の詔勅)だが、これまで全文を通して聴いた(読んだ)ことがなかった。最近この文を全文読んで初めて、昭和天皇が心底いかに平和を希求していたかを知った。
あの戦争を始めてしまったこと、そして最悪の結末に突き進みつつあるにもかかわらず、なお戦闘を止めようとしない軍部、そしてそれに追隨せざるを得ない善良な国民たちの行動などに、誰よりも心を痛めていたのが昭和天皇ご自身であったことが滲んでいる。
「・・・生きて虜囚の辱めを受けず・・・」
軍の掲げたこんな戦陣訓のもと、負けて生き延びることは許されないと任じた全ての国民は、実に多くの犧牲を払わされた。
昭和天皇は、意に添わない戦争を押し進めた人たちが靖国神社に合祀されて以後、靖国参拝を行っていない。
上掲の終戦の詔書からその御心を推し量れば、至極当然のことと思う。
2005.12.17-29
添付2
【
日韓併合(菅)首相談話】全文「韓国は誇り傷付けられた」…
2010.8.10 11:40
政府は10日午前、日韓併合100年に併せた首相談話を閣議決定し発表した。首相談話では、日本による韓国の植民地支配に対し「多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と明記した。談話の全文は以下の通り。
◇
本年は、日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。
私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
このような認識の下、これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築していきます。また、これまで行ってきたいわゆる在サハリン韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を今後とも誠実に実施していきます。さらに、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。
日本と韓国は、二千年来の活発な文化の交流や人の往来を通じ、世界に誇る素晴らしい文化と伝統を深く共有しています。さらに、今日の両国の交流は極めて重層的かつ広範多岐にわたり、両国の国民が互いに抱く親近感と友情はかつてないほど強くなっております。また、両国の経済関係や人的交流の規模は国交正常化以来飛躍的に拡大し、互いに切磋琢磨しながら、その結び付きは極めて強固なものとなっています。
日韓両国は、今この二十一世紀において、民主主義や自由、市場経済といった価値を共有する最も重要で緊密な隣国同士となっています。それは、二国間関係にとどまらず、将来の東アジア共同体の構築をも念頭に置いたこの地域の平和と安定、世界経済の成長と発展、そして、核軍縮や気候変動、貧困や平和構築といった地球規模の課題まで、幅広く地域と世界の平和と繁栄のために協力してリーダーシップを発揮するパートナーの関係です。
私は、この大きな歴史の節目に、日韓両国の絆がより深く、より固いものとなることを強く希求するとともに、両国間の未来をひらくために不断の努力を惜しまない決意を表明いたします。
添付3
【東洋思想資料】1995.8.15
村山談話全文
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
添付4
潘・国連事務総長:長崎訪問 演説(全文)
潘基文国連事務総長の5日の演説全文は次の通り。
(毎日新聞 2010年8月6日 東京朝刊)
(日本語)
皆さん、こんにちは。
(英語)
65年前の夏、この場所で、1機の飛行機が1発の爆弾を投下しました。それにより、この美しい長崎市ががれきと化したのです。そして何万人もの男性、女性、そして子どもたちの命を奪いました。本日、私はそうして亡くなられた人々に敬意を表すために、ここに参りました。(日本語)
私は世界平和のために参りました。
(英語)
並々ならぬ苦難を耐え忍んできた被爆者の皆さんに尊敬の念を示すために、私はここに来ました。(被爆による)惨状が与える衝撃は、耐え得るものではありません。しかし、皆さんは、並々ならぬ勇敢さで、それを耐え抜いてこられました。私は、長崎市民の皆さんと連携し、この場に立っております。
広島市民とともに、皆さんは世界の核軍縮に向けて力強いパートナーシップを構築されてきました。この史跡(原爆落下中心碑)は、核攻撃の地理的な中心地を単に示すだけではありません。私は大変に重い気持ちでここに立っています。この場所は、このような(被爆の)惨劇を二度と、いかなる場所でも、いかなる人間に対しても、決して許してはならないと確信する記念碑なのです。
国連事務総長として、私は核不拡散及び核軍縮に関する5項目からなる計画を提言しました。それは安全保障、検証、透明性、通常兵器そして核軍縮のための法的枠組みに関する提案です。長崎市及び長崎市民の皆さんからこの計画に強くご賛同いただけたことを、大変うれしく思います。
現在、平和市長会議に賛同する市長の数は世界で4000人に上ります。年末までには10億人以上の市民を代表する、5000人の市長から賛同を得ようとされている、その努力を私は歓迎します。このような活動こそが、核攻撃の悲劇に応える、可能な限り健全な方法の一つなのです。
このような(核)兵器が二度と使用されないようにする、確実かつ唯一の方法はこれらすべてを廃絶することです。核兵器のない世界を目指してともに歩いていきましょう。強い確信と信念で立ち向かっていけば、核兵器のない世界は実現できます。国連を代表し、献花させていただくことを光栄に思います。
(日本語)
どうもありがとうございました。
添付5
ヨーロッパ戦勝記念日
ヨーロッパ戦勝記念日、乃至はヨーロッパ勝戦記念日とは、第二次世界大戦において連合国がナチスドイツを降伏させ、ヨーロッパにおける勝利を記念する日である。VEデー(英:Victory in Europe Day、V-E Day or VE Day)とも呼ばれる日で、1945年5月8日に当たる。
・・・・・・・・・・・
対日勝戦記念日
連合国軍は残る日本との戦争を続け、イギリスでの1945年8月15日未明、アメリカでの8月14日(日本標準時の8月15日)、日本政府は降伏文書であるポツダム宣言の受諾を予告した。そして、1945年9月2日に、日本政府はポツダム宣言に調印し、第二次世界大戦は終わった。
日本では、日本政府が降伏文書の調印を予告した8月15日が「終戦の日」と受けとめられている。一方、連合国では、日本政府が降伏文書に調印した9月2日が「対日勝戦記念日」「VJデー」と呼ばれている。但し、ソビエト連邦など冷戦時代の東側諸国では、翌日の9月3日が対日勝戦記念日となっている。