先日(日本出国7月29日~帰国8月12日)マッターホルン登山のためのトレーニングとして、ヨーロッパアルプス(ツールドモンブラン---モンブランの回りの低山:約2500mH以下を12日間かけて歩くルート)の3日間トレッキングやシャモニーを歩いて気づくことは、多くの白人が(男性も女性も)半そで(どちらかというとタンクトップが多い)・半ズボンで惜しげもなく大きなバストをさらけており、目のやり場に困る。一般的に白人は紫外線を浴びて皮膚がんになりやすいと聞いているので、彼らは皮膚がんに対して無頓着なのか、それともビタミンDの吸収のために理にかなっているのか理解できない。さすがにサングラスはかけている人が多い。
さしずめ同じ環境なら日本の女性は長袖、長パンツで肌を隠して、紫外線から肌を守ろうとする。
従って、白人はがんへの抵抗力をつける(メラニン色素を増やす)ために陽にやけたいし、日本女性は白くなりたいために陽にやけたくないのかも知れない。(YT)
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白人が半ズボンなのが不思議だということですが、私がしばらく住んでいたアルゼンチンでは、白人の富裕層のしかも女性が、いかに日に焼けるかに腐心していたことを思いだしました。日焼けによってソバカスが出るんですが、それがステータスになるようです。ですから、彼女たちは日傘を差しません。(KH)
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皮膚の色に興味を感じられたことのある皆さま
ブラジルのサッカーの勢いの良さ、元気なサンバ、カーニバルに潜む300年間の謎、ネアンデルタール人の男ぶり、女ぶり、国際結婚の遺伝に潜む希望に共通する、「アフリカ」の話題をお楽しみ下さい。
2010年8月19日(木)
MM
ブラジルの蹴球、サンバ、カーニバルのルーツは西アフリカからの黒人奴隷
昨日の陳昼食会で、今年の夏の猛暑と日焼けという話題から、民族の皮膚の色に話が展開し、アフリカ以外でもブラジルにも色の黒い人がいるという事実認識をしましたが、アフリカを出発したヒトが皮膚の色を黄色等にしながらシベリア、北米経由で南米に渡ったのに、どうしてなのだろう・・・というところで行き詰ってしまいました。
その日の夜のNHKのBS番組、<南米大陸一周165日の旅> 「大河アマゾンとギアナ高地~ブラジル・ベネズエラ~」を見ていたところ、たまたまツアー客がブラジルの夜を楽しむ場面があり、アフリカからの黒人文化の踊り、音楽を黒人の人が気分よさそうに踊り、演奏している場面も紹介されていました。
私はここで初めてブラジルにはアフリカから黒人が奴隷として大勢連れてこられた、ポルトガルが支配するブラジルの地にも奴隷貿易の痕跡が残されていた、・・・というより元からの住民のインディオがポルトガル人に多く末梢されてしまって、アフリカからの黒人奴隷がその後のブラジルの地でマジョリティになっていったということを学びました(添付1)。
ブラジル(当時はそのようには呼ばれていませんでした)は、・・というよりポルトガル人は、世界の流れの中で16世紀後半から西アフリカの黒人を奴隷として買い、大規模農場で働かせ、アメリカ合衆国の奴隷解放(1865年)等の国際動向の流れの中で1888年に奴隷制を終結させました(添付1)が、3世紀にも亘っていましたので、今はブラジル人に黒人の比率が多いことが理解されます。そして、勢いのあるサッカーの運動神経、サンバに、リオのカーニバルといった文化も西アフリカの黒人奴隷にルーツがあると思えば、色々なことが納得できます。
不思議なことに、本日の朝日新聞朝刊に、「現代人は旧人との混血だったの?」という共同通信社の解説記事(添付2)を活用した記事も掲載されていました。こちらは、アフリカで数十年万前に共通の祖先から枝分かれした旧人(ネアンデルタール人)に8万年前にアフリカを出発した私たち人類(新人)が、旧人と多少は混血した可能性があるのではないかと紹介されていました。この記事もアフリカ人を想起するものでした。
「混血」の可能性ありということになれば、ネアンデルタール人の男ぶり、女ぶりに興味が湧くのも当然のことです。インターネットのジャングルの中で、復元像を探してみました。見つけ出したネアンデルタール氏の男ぶりは逞しそうで(添付4)、さぞや新人の女性を引きつけたことだろうと連想できるものでした。ただ見つけ出したネアンデルタールさんの女ぶりは怖そうで(添付5)、新人の男性は遠慮したことだろうと勝手に連想しました。
さらに、昨日の陳昼食会でもう一つ話題になったものに、偉庵の故郷の豪での皮膚癌の多さというものがあり、それは、本来はアボリジニに見られる皮膚の濃さが必要なところに、皮膚の色が白い英国人が入植してきたことが原因と言われているということでした。
この現象の背景を調べてみると、やはり皮膚の色を黒くしてアフリカで成立した人類の世界への散らばりと、太陽光強度への対応進化の物語が潜んでいました。即ち、
『
初期の人類では衣類がなかったから裸で、強烈に降り注ぐ紫外線は人類にとっては生存を脅かす脅威であったに違いない。赤道付近の環境では、メラニンを多く含む黒色の皮膚は、紫外線発癌から皮膚を防御するのにきわめて有利である。その後、人類は、石器の発明、火の利用、獣皮を衣類にして保温するなどにより、アフリカから出て世界各地に進出した。
この場合、低緯度のヨーロッパに進出した人類は、肌の色の黒いことが致命的な欠点になる。低緯度地域では紫外線量が冬季には少なくなる。人類は紫外線の助けを借り、骨の発育に不可欠なビタミンDを皮膚で合成する。低緯度地域で生活する黒色肌の人類は紫外線でのビタミンDの合成が不十分で、骨の生育が不十分になる“くる病”に悩まされたであろう。このような環境で突然変異で皮膚色がうすくなった人類は、少ない紫外線でビタミンDが合成でき、数万年の時間をかけ、彼らの子孫は繁栄し、中緯度地域では褐色、黄褐色の肌に、低緯度地域では白人の肌になっていったと考えられる。』(添付3)
・・ということでした。
また、皮膚の色の遺伝的な変化に関し、“
メラニンの形態は人間の肌の色を決定します。メラニンをつくるのに関係する遺伝子はたくさんありますが、それぞれの遺伝子がわずかに突然変異を起こすと皮膚の色は、黒から褐色へ、あるいは黒から白へ変化します。ところが、白や褐色の肌から、突然変異で黒い肌ができることはありません”(添付3)・・・という解説にも遭遇し、国際結婚の場合に、そのお子さんの肌の色はより白に近づいて行くという法則を学びました。
2010年8月19日(木)
MM
添付1
ブラジルにおける奴隷制度
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インディオが定住性を持たず、常に十分な人手が必要な砂糖黍の栽培には向いていなかった事や、黒人の方が身体的、文化的側面においてインディオよりも優っていたことにより、黒人奴隷は労働力として大量に導入されることになった。黒人の使役により、16世紀後半から17世紀においてブラジル北東部の砂糖黍は世界一の生産額を誇り、砂糖黍により富を得た農場主たちはバロック様式の荘厳華美な教会を建築した。それと同時に、ブラジル国内にあった他のヨーロッパ諸国の領地を買い上げ、領土を拡大した。ポルトガル本国にかなりの富が吸い上げられたにせよ、砂糖成金の生活の豪華さはリスボンの貴族の生活を上回り、砂糖黍の魅力は植民を加速。結果として多くの黒人たちが奴隷としてブラジルに連れてこられることになった。
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そして、そのような反奴隷制感情の高まりの中から、1888年に「黄金法」が制定され、ブラジルの奴隷制は終了した。「黄金法」はこれといった反対なしにすんなりと可決されたが、それには当時の黒人奴隷を取り巻く社会状況が強く影響していた。もはや、黒人奴隷は必ずしも必要な労働力とみなされていなかったのである。サンパウロのコーヒー産業などでは労働力が黒人奴隷から外国人労働者に移行し、奴隷の労働力としての価値が下がっていた。
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確かに黒人奴隷は自由になったが、彼等の生活を支援するような社会的な仕組みがなく、政府も教会も黒人に対して手をさしのべることはなかった。そのため、職を求める黒人達を都市部に移動させることとなった。奴隷解放直後の黒人は、まだ大農園にいた頃とたいして変わらぬ地位にあった。支配階級にあった白人達は奴隷解放後も、自分たちの地位が揺るがないようにと考えを巡らせていたためである。黒人は確かに自由を得たが、それは名目上の自由でしかなかった。そのため、奴隷の時と同じように黒人同士が集まり、互いに助け合いながらファベーラに住むことになった。貧しさに耐えてきた彼等の中で政府によって禁止されていたカンドンブレーが行われ、サンバが生まれてきたのも必然のような気がする。彼らは押さえつけられていたアイデンティティをカーニバルという場を借りて発露しようとしていたのだから。
添付2
旧人と現生人類、混血か ゲノム比較で推定 独など国際チーム (1)
2010年5月7日 提供:共同通信社
約3万年前に絶滅した旧人「ネアンデルタール人」のゲノム(全遺伝情報)を骨の化石から解読したところ、現生人類とわずかに混血していたと推定されるとの研究結果をドイツのマックス・プランク進化人類学研究所や米バイオ企業などの国際チームが7日付の米科学誌サイエンスに発表した。
旧人と現生人類は数十万年前にアフリカで共通の祖先から枝分かれした近縁種で、ある時期、地球上で共存していたとされる。混血の有無は人類学上の論争の一つで、これまでは無かったとする説が有力だった。今回の研究では、両者のゲノムの比較で現生人類だけに特徴的な遺伝子も判明。今後、人らしさとは何か、絶滅と拡大の命運を分けた鍵は何だったのかという理解が進みそうだ。
研究チームは、クロアチアの洞窟(どうくつ)で見つかった約4万年前の旧人女性3人の骨粉標本を分析し、ゲノム全体の約60%を解読した。一方でアフリカの南部と西部、フランス、中国、パプアニューギニアの現生人類5人のゲノムも解析。旧人と比較した結果、枝分かれの地であるアフリカの人より、それ以外の現生人類の方が旧人のゲノム配列に似ており、ゲノムの約1~4%が旧人由来と推計された。
人類学では、共通祖先の一部がアフリカから欧州に渡り旧人に進化、欧州や西アジアで生活する一方、アフリカに残った共通祖先から現生人類が現れ、約7万~8万年前に中東に進出、その後、欧州やアジア、米大陸などに広がったと考えられている。研究チームは、現生人類がアフリカを出て各地に広がる前の中東時代に、旧人と混血したと結論づけた。
また、現生人類に特徴的な遺伝子として、精神や認知の発達、代謝、頭骨や胸郭の形成にかかわるものなどが見つかった。
※人類の進化
約700万年前、アフリカでチンパンジーとの共通祖先から枝分かれして始まった。まず、直立二足歩行をするようになったアウストラロピテクス属などの猿人が登場。次に脳がより大きく、石器を使うホモ・エレクトスなどの原人が現れ、約180万年前ごろにアフリカを出て中国やインドネシアまで広がった。一部は欧州に進出し、約20万年前に旧人のネアンデルタール人に進化した。ネアンデルタール人は現代人より脳が大きく、がっしりとした体格で、毛皮をまとっていたとされ、西アジアまで広がったが絶滅した。一方、アフリカに残ったグループの中から約20万年前ごろ、現生人類のホモ・サピエンスが出現し、世界に拡大した。
添付3
人類の祖先の肌は何色?
私たち人類は肌の色より大きく3つに分類されます。
黒人(African)、アジア人(Asian)、白人(コーカサス人、Caucasian)です。
では最初の人類の肌の色は何色だったのでしょうか?
人類は20万年~15万年前にアフリカで生まれたと言われています。その後、アジア、オーストラリアには7万年~5万年前に到達、ヨーロッパには約4万年前 に進出したと言われています。人類がアフリカで生まれという根拠は、発掘された人骨で最も古いものがアフリカ以外の地域からは出土しないからです。そのため、人類の祖先はアフリカ人であったこと言うことができます。したがって、最初の人類の肌の色は、現在のアフリカ人と同じような黒色であったと考えられます。
この仮説を支持する研究が、1987年のカリフォルニア大学のアラン・ウィルソンらのチームから発表されました。
細胞の中のミトコンドリア遺伝子の突然変異を解析し、人類に関する全世界の五つの地理での人々の遺伝子を調査したところ、
ミトコンドリアDNAは全て1人の女性に由来しており、その女性は約20万年前に生存していたと推測したのです。そして、彼女を「イヴ」と名づけました。これは「アフリカのイヴ」とも言われています。とすると、人類の起源はやはり黒人だったことになります。余談ですが、この発表を聞いた白人キリスト教徒は激怒したそうです。なぜなら、旧約聖書の創世記にでてくる白人の先祖であるイヴはアフリカの黒人だということになるからです。この「アフリカのイヴ」説については1987年以来、追試がなされ、統計の処理の仕方で、起源となる人類は複数人存在し、ただ一人には絞れないとの反論もあります
肌の色が白い親から、色の黒い子供が生まれることはない?メラニンを研究してきた我々にとって、この「アフリカのイヴ」説は実に面白い仮説です。メラニンの形態は人間の肌の色を決定します。メラニンをつくるのに関係する遺伝子はたくさんありますが、それぞれの遺伝子がわずかに突然変異を起こすと皮膚の色は、黒から褐色へ、あるいは黒から白へ変化します。ところが、白や褐色の肌から、突然変異で黒い肌ができることはありません。
言い換えれば、肌の色に関しては黒人からアジア人や白人型は突然変異で生まれるが、白人からアジア人や黒人型、あるいはアジア人から黒人型の肌の色の変化は突然変異では起こらないのです。メラニンをつくるのに関係する遺伝子の突然変異は、常に色を造る機能を失う方向にしか働かないのです。
なぜ人類の肌の色に違いがあるのか?
紫外線は皮膚に対し強い発癌作用があります。
初期の人類では衣類がなかったから裸で、強烈に降り注ぐ紫外線は人類にとっては生存を脅かす脅威であったに違いない。赤道付近の環境では、メラニンを多く含む黒色の皮膚は、紫外線発癌から皮膚を防御するのにきわめて有利である。その後、人類は、石器の発明、火の利用、獣皮を衣類にして保温するなどにより、アフリカから出て世界各地に進出した。
この場合、
低緯度のヨーロッパに進出した人類は、肌の色の黒いことが致命的な欠点になる。低緯度地域では紫外線量が冬季には少なくなる。人類は紫外線の助けを借り、骨の発育に不可欠なビタミンDを皮膚で合成する。低緯度地域で生活する黒色肌の人類は紫外線でのビタミンDの合成が不十分で、骨の生育が不十分になる“くる病”に悩まされたであろう。このような環境で突然変異で皮膚色がうすくなった人類は、少ない紫外線でビタミンDが合成でき、数万年の時間をかけ、彼らの子孫は繁栄し、中緯度地域では褐色、黄褐色の肌に、低緯度地域では白人の肌になっていったと考えられる。
日本は国土が狭いものの、南北に長い。秋田美人は肌が白く、九州出身の私は色が濃い。日本人の祖先はどこにあるのか興味あるところである。
添付4
ネアンデルタール人さん、もう一度しゃべって。
海外ニュースfromパリ
Wed Apr 16, 12:11 PM ET
Grunt work: Scientists make Neanderthals speak again
ブーブー言う仕事:科学者が再びネアンデルタール人をしゃべらせる。
PARIS (AFP) - After a nearly 30,000-year silence, Neanderthals are speaking once more, thanks to researchers who have modelled the hominids' larynx to replicate the possible sounds it would make, New Scientist says.
およそ3万年の沈黙を破って、ネアンデルタール人がもう一度口を開いた。ヒト科の動物の咽頭をモデルに、考えられる音声を復元した研究員たちのおかげである。とニューサイエンティストが発表した。
The work led by Robert McCarthy, an anthropologist at Florida Atlantic University at Boca Raton, is based on Neanderthal fossils found in France, the British journal said on Wednesday on its website
(http://www.newscientist.com/channel/being-human/dn13672).
ボカラートンにあるフロリダ大西洋大学の人類学者ロバート・マッカーシー氏が率いたこの研究は、フランスで発見されたネアンデルタール人の化石を基にしている。この論文はイギリス誌のウェブサイトhttp://www.newscientist.com/channel/being-human/dn13672に掲載されている。
The item includes an audio snippet in which a computer synthesiser replicates how a Neanderthal would say an "e" and compares this with the same sound as made by modern humans.
記事には、ネアンデルタール人の"e"をの発音をコンピュータシンセサイザーで復元したものなど音声の断片も含まれていて、現代の人間の発音と比較されている。
A study published last October in the journal Current Biology found that Neanderthals carried the only human gene that has so far been linked to language.
去年10月にカレント・バイオロジー誌に発表された研究で、ネアンデルタール人はその時点での言語とリンクする人の遺伝子を持っていた、ということは分かっていた。
This implies Neanderthals had at least some of the genetic prerequisites for acquiring language.
これはネアンデルタール人が、少なくとも言葉を獲得するための遺伝子の必須条件を備えていたことを示している。
Even so, experts question whether Neanderthals had the necessary biological gear, such as fine nerves connected to tongue muscles and lips, that would enable them do more than just grunt.
とはいえ、専門家たちはネアンデルタール人が生物学上必要な道具、例えば舌の筋肉と唇をつなぐ繊細な神経など、うなる音以上のことが出来るものを持っていたかどうか疑っていた。
Their vocal tracts lacked the ability to make "quantal vowels" that underpin modern speech, and so oral communication would have been limited, McCarthy believes.
彼らの音域は、現代の発語を実証する"量子力学母音"を作る能力に欠けていて、そのため口頭によるコミュニケーションが制限されていたと想像される。
"They would have spoken a bit differently. They wouldn't have been able to produce these quantal vowels that form the basis of spoken language," he told New Scientist.
マッカーシー氏:「彼らがしゃべることは少々難しかったようです。言葉を話すための基礎となる量子力学母音を作ることができなかったのですから。」
Squat and slope-browed, Neanderthals are our closest extinct ancestors.
ずんぐりとしてゲジゲジ眉毛のネアンデルタール人は、我々に最も近い祖先だ。
They lived in parts of Europe, Central Asia and the Middle East for around 170,000 years, then died out mysteriously some 28,000 years ago or more.
およそ17万年前にヨーロッパ、中央アジア、中東に分かれて生息していて、およそ2万8000年前に忽然と絶滅している。
Two main theories have emerged to explain their disappearance: either they were wiped out by Homo sapiens -- the new, smarter hominid on the block -- or they interbred with the newcomers, which implies that our genome today may have Neanderthal DNA.
彼らの消滅には主に2つ説がある:より知能の発達したヒト科の動物であるホモサピエンスの登場により淘汰された。もしくは、最近我々にもネアンデルタール人のDNAが残っている疑いのあることから、新人類との異種交配があったのでは、というものである。
添付5
なぜ、ネアンデルタール人は絶滅したのか?「脳」の発達と「社会性」の不思議な関係
化石の骨格とDNA情報をもとに初めてつくられたネアンデルタール人女性の復元模型
現生人類と共存していた時代、ネアンデルタール人の身に何が起きたのか。なぜ彼らだけが滅びたのか。「ナショナル ジオグラフィック日本版」10月号では、その謎に迫るレポートを掲載した。
ネアンデルタール人は、私たちに最も近かった人類の仲間で、ほぼ20万年間にわたって、ユーラシア大陸に散らばって暮らしていた。その分布域は今の欧州全域から中東やアジアにまで及び、南は地中海沿岸からジブラルタル海峡、ギリシャ、イラク、北はロシア、西は英国、東はモンゴルの近くまで達していた。西ヨーロッパで最も多かった時期でも、その数はせいぜい1万5000人程度だったと推定されている。