[2005.12.18]
17日夜から強まった冬型の気圧配置の影響で、日本海側を中心に大雪が降り、各地で除雪中の事故などによる死者やけが人が発生しており、交通機関の運行にも乱れが出ているようだ。雪国の人にとってみれば、雪のためにたいへんな作業が増える。除雪をしなければ家が潰れるので屋根にのぼり除雪中に屋根から落ちる事故が多い。特に高齢者の被害が多いようだ。
一時、今年は暖冬だと伝えられていたが、あにはからずの寒波襲来。暖冬と寒波は紙一重かも知れない?(気象庁のミスとは思いたくないし、新たな知見がでてきたのかも知れない?)
ところで、年末から正月にかけて冬山に臨もうと意気込んでいる輩(小生もその一人ではあるが)には今の時期に降雪があれば、年末には降雪が一段落しきっといい冬山に臨めると思っていることだろう。
地上での寒波は、さらに気象条件の悪い山の稜線では吹雪を現すといっても過言ではないが、天候にさえ恵まれれば、北アルプスの稜線でも素晴らしい光景にめぐり会える。
ともかく、下界でも山でも寒さに立ち向かうために、2年前の年末に登った燕岳山行記を載せてみた。特に年末から正月にかけて燕岳(北アルプス)に登ろうとする冬山男(女)には参考になる情報が多く含まれている。
[2003.12.28~30]
2003年末の燕岳山行は「
穂高の天気予報」をみて12月 27日夜旅立ちと決めた。中房温泉にTELを入れると遅くとも10時までには宮城を出発されたしと云われ、穂高到着10時で検索すると夜行列車利用となった。
27日、日本付近の上空に寒気が流れ込み、冬型の気圧配置が強まる。このため、太平洋側では晴れ間が出るが、日本海側は広い範囲で雪が降り、雷を伴う所もありそう。北日本や北陸、西日本の山沿いでは大雪となるおそれがあるので注意が必要。また、全国的に冷たい風が強まって、真冬のような寒さになりそうだ。
装備:
ズボン、防寒帽子(耳まで覆えるもの)、手袋(防風防寒)、防寒着(ジャンパ、セーター)、防風・防水パーカーとオーバーズボン、スパッツ、フリース、アイゼン、細引き、ピッケル、ゴーグル、防風マスク、保温水筒、スノーシュー(ワカンの代わり)、長袖シャツ、ズボン下2、ブリーフ2、タオル、シュラフ、シュラフカバー、マット、ツエルト、食料、テルモス、磁石、地図、健康保険証、カメラ、フィルム、ラジオ、ヘッドランプ、笛付き懐中電灯、予備電池、携帯電話、ごみ袋、救急薬品、ティッシュペーパー、筆記具、など締めて21kg。
年末燕岳山行スケジュール(中房温泉1462mHの天気予報:12/27、15:00現在)
12/27
新宿23:54→(JR快速ムーンライト信州81号、4,810円)→
12/28(降雪0%、最高気温5℃/最低気温-9℃)
穂高4:51→(タクシー1,625円)→宮城→(13km、4Hr)→中房温泉泊(090-8771-4000、1泊2食9,075円/相部屋)
備考:車は宮城まで(南安タクシー0263-72-2855、安曇野光タクシー0263-82-3113)
12/29(晴時々曇り、降雪10%、6℃/-2)
中房温泉→(4Hr)→合戦小屋→(2Hr)→燕山荘→(30min)→燕岳→(20min)→燕山荘泊(1泊2食9,000円)
12/30(晴時々曇り、降雪10%、4℃/-3)
燕山荘→(1Hr)→合戦小屋→(3Hr)→中房温泉→(3Hr)→宮城→(タクシー3,250円)→穂高→(JR6,200円)→東京
12/31(予備日)(曇り時々晴、降雪30%、7℃/-2)
備考:27日15:30(安曇野雪崩、低温注意報)
所要歩行時間は燕山荘のHPより引用
03年12月27日
夜行列車は全席指定で、ほぼ満席であるが幸い小生の前は空いており、脚を投げ出して仮眠できた。
12月28日
10数分遅れの新宿発だったが、穂高駅には定刻の4:51に到着。こんな早朝に遭難防止対策協会の方がおり登山届けを出す。夜行列車の乗客の殆どは白馬方面であり、下車したのは中高年の夫婦と上高地まで縦走するという若者Aさんと小生の4人。
穂高駅近くにはコンビニがなく飯抜きで早速Aさんとタクシー相乗りで宮城に向かう。Aさんの計画は1泊目合戦小屋、2泊目大天井小屋、3泊目常念小屋、4泊目蝶が岳小屋での幕営計画だと云うが、羨ましいばかりだ。
5:30、ヘッドランプを点け宮城を出発してゆっくりと歩き始める。Aさんとは抜きつ抜かれつ、温度計は-9℃であるのに歩行により体は汗ばんでおり、血のめぐりの良さに感心する。最後は小生より重装備のAさんを追い抜き中房温泉に10時に着いた。この中房線は雪のない時に歩くのはうんざりするであろうが、くるぶし以下の雪であれば雪を踏む音を聞きながら楽しく歩ける。中房温泉に着くと雪除車があり、降雪時にはこれが稼働しているようだ。
まだ早い時刻ではあるが、予定通り中房温泉で英気を養うことにする。今朝は今冬一番冷えたそうで-11℃というから予報より冷えたことになる。時間があり、フロントと雑談する中で、槍ヶ岳に近い殺生小屋従業員3人の昨年11月の雪崩遭難の話に及ぶ。この中房温泉が経営しているそうで、当時降雪量が多くヘリコプター下山を勧めたがベテランの2人が大丈夫ということでこの事故になったので残念なことだったと云う。
早速温泉に入り、ウイスキーを少し飲り、こたつに入り仮眠。その内騒々しくなり3時間で来たというBさん(塩尻)36歳がいる。結局大部屋2つを6人で陣取ることになった。ザック一式を持ち込んで布団も敷ける広さだから贅沢と云えば贅沢だ。偶然であるが写真マニアが多い。どうやら小生が最長老だ。次が大板カメラの持ち主のCさん(大阪)55歳だ。Cさんは32kgのザックを担ぎ3時間半で来たのだと云う。三脚だけで5kgもあると云う。
645、67、大板と皆大型カメラの持ち主ばかりだ。小生の「35mmはカメラではない」と口の悪いDさん(小諸)は云う。しかし小生はこの35mmのマニュアル一眼レフをこよなく愛しており、夏も冬も使っている。夕食前に二度目の温泉に入るとビール2缶を飲み空かした先客が挨拶して来るので長話となり出たり入ったりの40分の長湯となった。18時になり待望の夕食だが、おかずは大したことがないと云う御仁がいたが、山小屋食と考えれば御の字だと思う。中房温泉の熱めの露天風呂は素晴らしく、冬季はアプローチの13kmを歩いて来なければならず客は少ない。
12月29日
5時過ぎ起床。昨夜の話の通りBさんは5時過ぎに稜線に出て日の出を撮るために1時に出発済みである。Fさん(三重県)も空身で往復するために出発済みである。
冬山は北横岳だけだと云い、不安なのでこのまま帰るかも知れないというEさん(三重県)にアイゼン着用時の注意事項などを話し、一緒に登ることにした。
6時55分、登山口を出発。7:42、第一ベンチ。8:22/29第二ベンチ1842mH、9:10/15第三ベンチ2000mH、しかしベンチは埋まっており、徐々に雪量も増えていることが判る。10:04富士見ベンチ2200mH、富士山を撮る。11:00/10合戦小屋、防風マスクを着用し、Eさんに完全防寒を勧める。
いよいよ樹林限界を越えるので吹きさらしの尾根を登って行くことになるが、赤い旗竿が目印となり踏み跡を外すことはない。
雲行きはよくない。合戦の尾根の頭でぼんやりと見えていた大天井岳が見る見る内に消えてしまった。両サイドが切れ落ちる痩せ尾根では耐風姿勢に即座に対応しなければならない。急登して主稜線に出る頃には降雪は少ないが吹雪の状況を呈している。稜線に出て矢印に従って冬季小屋を回り込み夏小屋に至る数10mの距離ではあるが、高瀬川から吹き上げる強風に面食らう。13:20燕山荘、引き戸を開けると若い女性(従業員)の「お疲れさま」の声に有り難みを感じるから不思議だ。外は吹雪で今日は燕岳に向かう気持ちは全くおきない。
食後の団欒で判ったことであるが、Cさんは合戦尾根を断念したのだそうだ。Aさんは大天井小屋辺りにテントを張っていると思ったが、目の前におり停滞と決めている。
天井に近い寝床であり今夜は冷えるかもしれないと思い持参したシュラフに提供された寝具を重ねる。
12月30日
起床5:30、「猛吹雪だ」と云う声がする。靴下を脱いで寝たが足はほかほかである。朝食を済ませ、デジタルテレビでダウンロードした天気図(日本列島の気圧配置)を見ることができる。昨夜の安曇野地方の天気予報では、今日の天気はいいはずであるが、山の天気は日本海側の悪い天気が影響しているのかも知れない。7時過ぎまでデジタルテレビを見る。
Eさんはもう下山するというので、8時出発でザックの準備に入る。外に出ると降雪は全くなく強風のみであり、小生は燕岳を往復して来るからと云い、カメラザックのみタスキがけして小屋を8:08後にした。久し振りの燕岳であるが、まだ全く見えない状況である。吹きさらしの所では積雪がなく気づかなかったが、積雪がある所にかすかなトレイルが見える。先行者がいるようだ。しばらくほぼ水平に距離を稼いだ後に急登し頂上際まで来ると風を避けている女性が一人おり、北燕岳に向かった男性二人の帰りを待っているのだと云う。
9:09/25燕岳頂上2762mH、「ヤッホー」と一声を上げる。実に気分がいい。天気は上向きであり、槍の先が時々顔を出しており幻想的だ。
携帯電話のアンテナが3本立っており、ワイフにメールを入れる。燕岳下山時には天気が回復しており燕岳が素晴らしい様相を呈している。常に強風が吹いているせいか、凍り付いた雪以外の積雪はない。
燕岳から燕山荘に戻る時に主稜線から見た槍ヶ岳遠景
燕山荘に戻るとEさんはまだおり、三脚を立て縦横操作が便利なペンタックスの645カメラで撮影中だ。もう一日泊まっていくと云うので、天気がいいのだから燕岳頂上行きを勧め別れる。
9:56、燕山荘を後にして下山開始、天気も快晴、これからの合戦尾根の下りが楽しみである。槍ヶ岳と大天井岳が素晴らしくカメラに納める。陽光の雪反射は強くフィルター付きメガネだからかろうじて眼を保護出来るのかなと思う。
合戦尾根
合戦尾根と霧氷
10:55/11:15合戦小屋
12:00/15第二ベンチ。12:50登山口。
13:02、登山口を後に宮城まで歩く一仕事が残っている。こんなに遅く宮城に向かう者はなく、皆中房温泉に向かっている。しかし下りが主だから16時過ぎには到着出来るはずだ。途中、宮城側から上がって来た登山者10数人と出会す。14時を回るとさすがに出会す者はいない。夕方に近い道は最後まで凍結状況にあるが、歩くにつれピッケルの使い方もうまくなり、スピードを上げても転ばなくなった。
16:17宮城、携帯でタクシーを呼ぼうとすると既に客待ちのタクシーがいるので、話を聞くと今しがた発電所から携帯が入り待っているのだという。小生よりうわてがいた。しかし、まだ1時間半位掛かるので、小生を先に送ってくれないかと交渉すると、OKという返事で他人が手配したタクシーに乗る。
穂高駅前のソバ屋で夕食を摂り、17:38発臨時スーパーあずさに乗り八王子乗り換え21:20帰宅。
02年12月27日の積雪情報(燕山荘ホームページより)
第一ベンチ (積雪 40cm)
第二ベンチ (積雪 1m)
第三ベンチ (積雪 1m〜1m50cm)
富士見ベンチ (積雪 1m〜1m50cm)
合戦小屋から燕山荘(積雪 2m)