「生き埋め」2遺体発見 関与の9人全員逮捕[06月28日]共同通信
今回の事件は暴力団抗争と酷似した事件(喧嘩両成敗)と思っていたが必ずしもそう単純でもないようだ。
2人の生き埋めに関与した容疑者群は、9人ということであるが、集団心理の観点から考えてみたい。
集団心理の発端は、敵が出現したときの団結本能だとされ、一般的に、個が確立されていない社会や、精神的に未成熟な子どもにはこの傾向が強いといわれる。
何となく未熟な感じの容疑者群とは思っていたが、どうもこれが当てはまるような気がしてならない。
つまりは、子供の頃の「いじめ」心理と似ている。
従って、いじめがそうであったように、普通人でも、そういう局面に立たされた場合はそういう心理になる可能性が高いということである。本来ならそういう心理にならないところを集団であるがため残虐な行為も平気でやってしまったということになる。しかしやってしまったからには罰からのがられないということも肝に命じておかなければならない。従って集団といえども、「確立した個」を意識した行動をとりたいものである。
「集団心理」/ウィキペディアによれば、
『集団心理とは、社会心理学の用語で、その社会の構成員である集団が、合理的に是非を判断しないまま、特定の時流に流されることを指す。時流に乗るよう働きかけても抗う者は排除される(斉一性の原理)が、冷静になって考えれば、反省する場合が多い。
集団心理の起源は、敵が出現したときの団結本能だとされる。一般に、個が確立されていない社会や、精神的に未成熟な子どもにはこの傾向が強い。
山本七平は、著書「空気の研究」の中で、集団心理を育む土壌はその場の「空気」だと述べる。「空気」は「水を差せ」ば抜けるが、水を差した者はその場にふさわしくない者として追い出される。
アメリカ合衆国で行われた図形の配置など単純明白な事実の記憶に対する質問を行う心理学実験において、被験者はわざと嘘の答えを言うサクラの多数派に同調してしまう傾向が見られた。たとえ自分の社会的立場を守ろうとする思惑がない状況であっても、自らの記憶自体が多数派に同調して書き換わってしまい、多数派の主張する嘘の事実を本気で信じてしまう現象が起こる。ましてこれが主観的問題であったり利害が働いたり心理学における合理化(本来好ましくなかったが成立してしまった現実を肯定するべく自らの価値・思考体系を変更することを無意識のうちに行うこと)が起こった場合には集団心理は容易に発生し社会的影響となる』