中国語の文字の成立に興味を感じられる皆さま、
最近の漢字のクイズ番組で、「七」が切腹で十文字に切り裂かれたお腹から体内の臓器が溢れ出ている様の象形文字であるという説明をしているのを見て、数詞には謎が潜んでいそうとの気分になり、「一」から「十」までの文字の成立を調べてみました。
その調査の脇道で、日本語の数の音読みに古中国語の発音を今に残していること、及びお詫びの手土産に最適な「切腹最中」というものがあること・・などの興味ポイントにも遭遇することができました。
2009年3月15日(日)
MM
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漢字の数詞文字の成り立ち、新橋新正堂の「切腹最中」
2009年3月14日(土)
最近の社会風潮に漢字検定、漢字クイズの流行があり、先日たまたまテレビの漢字クイズ番組で、「漢字の“七”の由来は?」というクイズがあり、その答えとして、「切腹したお腹から腸や胃等の7つの臓器が溢れ出てきた様の象形文字」という解説をしていたものに遭遇しました。なるほど、腹が十文字に切り裂かれたところとドス赤黒い臓器の流れ出しというその絵柄は「七」にも見えました(添付1)。
数詞の文字の成り立ちというものはシンプルなもの・・と想うのが極く自然ですが、七でこのように苦労しているのなら、中国語の一から十までの数詞の成立を調べ切ってみようと思い立ちました。この調査はストレートな部分と例によって脇道にそれた部分があり、面白い発見もあり、楽しくも興奮のある調査になりました。まずはストレートな部分からご報告します。
調査のはじめ頃に、『一、二、三は象形文字で、四から先は別の字の転用らしく、詳しく調べれば一冊の本になります』(添付2)という挑戦的な解説にぶつかり、やる気に火をつけてもらえました。一、二、三はまさにそのままで分りやすく(添付3)、問題は四以降の文字ということで一つずつ片付けていこうと計画しました。
まず基本的なところで、五と十が解明できました。中国の数詞は5進法的なところがあり、五と十の記号化がなされ、五は当初「×」、十は当初「l」の記号が当てはめられていましたが、「l」は見る角度により「一」と見誤られるので、棒の真ん中に黒丸(●)を書き込み、それが徐々に横棒に変化し、「十」という記号に変化しました。そうなると見る角度によって「×」と見誤られるので、×の上下に横棒を引き、徐々に×の内の\の部分の形が崩れて、「五」という記号に変化したということです(添付3)。
次は「四」の解明です。『「口」+「八」印で、口から出た息がばらばらに分かれることを表す。つまり、分散した数を意味する。「1、2、3、いっぱい」という、あの心境だろう。』(添付4)という解説に遭遇し、いわゆる小さな子供が数を数えられるようになったばかりの頃の雰囲気を彷彿とさせるものでした。
次は「六」の番です。『五まで指を折り、親指を立てるのが六である。その姿は盛り上がった形となり、陸や隆と同語源のliokで、数の六に命名した』(添付5)という解説に遭遇し、私は大満足しました。その姿を自分の手で実現させてみて(添付6)、一本の線と盛り上がった陸の雰囲気を醸し出せ、何といっても陸(liokという音)と日本での六の発音「ロク」の類似性の発見に興奮しました。現在の中国語だと「リュー」となっている発音(添付11)と比べ、日本には古い中国語の発音を今に残しているのかもしれないという想いです。
「七」は、漢字クイズのものを採用するとしますと、次は「八」の番です。『「はち」を示すのに片手の中三本指を曲げて親指と小指を立てて示した形が「八」の形をしていることからの借用』(添付7)という解説に遭遇し、これを中国の数の概念の5進法と結びつけて8という数を分り易くすべく自分の手の指でそれを表すトライをし、納得できるイメージを得ることができました(添付8)。
そして最後の「九」への挑戦になります。『解字:象形。肘を曲げたさまにかたどる』(添付9)という解説に遭遇し、それに近い絵柄を探して、そこに「九」を書き込んでみました(添付10)。その図をじっくり眺めてみますと、「十」から一を引き算する姿が現われた感じがして、自分なりには納得しました。
ここまでで、一から十までの中国語の数詞の成り立ちを全て解明したことになるとして、次いで楽しくも興奮のあった脇道の発見のことをご報告します。
①世界の言語の中で、数の発音を2つ持っているのは、日本語と朝鮮語の2つだけということが分りました(添付11)。その理由は、中国語の発音と後に自国で発明した文字の二重構造に由来しているからというものです。
②日本語の数の音読みは、中国語の古い発音を今に残しているという説です。古中国語は、客家語に多く残されている(添付11)そうですが、一から十までの発音の類似性には改めて驚かされました。
(漢字音)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十
北京語イー アル サン スー ウー リュー チー パー チュー シー
広東語ヤット イー サム セー ウン ロック チャッ パ カウ サップ
客家語イッ ニー サーム シー ウン ロック チット パット キィゥー サップ
朝鮮語イル イ サム サ オ ノク チル パル ク ジプ
日本語イチ ニ サン シ ゴ ロク シチ ハチ キュー (ク) ジュー
もしかすると私の勉強不足かもしれませんが、「音読み」というのは、中国語の発音(の積り)というものということを初めて理解しました。訓読みだと、“ひー・ふー・みー・・・”となります。
③体内から臓器が溢れ出る様という「七」の成立には気持ち悪いものを感じられた皆さまも多くおられたことと想いますが、世の中には、臓器をこれでもかと見せつける『切腹最中』という商品があることを知り(添付12)、その使い道として;
お詫びに最適??
何かの不始末の時持っていくものに悩みませんか?
お茶・菓子折り等ございますが
そんな時には「切腹最中」
ちょっと怖いですが「詰め腹を切ってきたつもりでございます」
こんな使い道もあるのでは・・・・
・・とサジェスションすらしています、“新橋新正堂の「切腹最中」”には全く脱帽というところでした。
MM
添付1
象形文字「七」の由来
(テレビの漢字クイズ番組より)
切腹で腹を十文字に切り裂いた後に、体内の
7種類の臓器(肺、肝臓、心臓、胃、腎臓、腸
等)が飛び出し、床にダラッと溢れ流れ出している様
からできた象形文字であると解説されていました。
ただ、私には文字の誕生、しかも数字という重要な文字の誕生は、「切腹」という制度的な仕組みの出来る前ではないだろうかとも想いますが・・
添付2
象形文字
一、二、三は象形文字で、四から先は別の字の転用らしく、詳しく調べれば一冊の本になります。 『数字の起源』は、なんらかの数を表現しようとした昔の人々の試行錯誤の積み重ねでしょうか」 うーん、「億」深いですね! 一松会長のお言葉に、ロマンを. 感じてしまいました。
添付3 「
一 二 三 五 十」 (02-06-21)
漢数字の一二三はそのまま数だけの横線を引いたもので、文字の成り立ちの由来としては「指示」という分類に入るといわれます。指示といいますのは「上」「下」のような抽象的な意味を、視覚的に図形化して文字としたものです。しかしこの文字の出来た頃には、算木(さんぎ)という細長い木製の棒を一本、二本と横に並べて数値を表し、占いや数の計算をしていたといわれます。一二三などはその算木の形をそのまま表現した象形文字とみることもできます。
算木を横に何本も並べるだけでは判りにくいので、2本を「×」の形にクロスさせて5を、また縦に1本「|」と置いて10を表わしました。ですから10を意味する最初の文字は縦の一本線でした。しかしこれでは見る角度により「一」と見間違えてしまいます。そこで中心部に黒丸をつけるようになり、やがて横棒を加えて「+」を10の字とするようになりました。すると今度は5の「×」と10の「+」の区別が紛らわしくなります。そこで図のように「×」の上下に横線を引き、5は斜めのクロスであることを明確にしました。
四六七八九はもとは別の意味の文字でしたが、46789の数を意味する発音と似ていたので、これをそれぞれの数を表す文字として用いるようになりました。こういう文字の成り立ちを「仮借」といいます。
添付4
日本語の広場 あなたはこの漢字を読めますか?)
(1) 象形文字 物の形を抽象化して文字にしたもの。「日」「月」など。=形象文字。
(2) 指事文字 事柄や数などの抽象的概念を、象徴的な約束や印で表したもの。
「上」「下」「一」「二」など。
(3) 会意文字 象形文字や指事文字を組み合わせたもの。
「武」(「戈」+「止」)、「信」(「人」+「言」)など。
(4) 形声文字 偏・旁の一方を発音の記号(音符)、他方を意味範疇の記号で表すもの。
「江」(「さんずい〔「水」の略体〕」+音符「工」)、「河」(「さんずい」+音符「可」)
(5) 転注文字 ある漢字の本来の意味を、他の近似した意味に転用したもの。この場合には普通字音を変える。もともと命令を意味する「令」という語が、やがて命令を出す人「長官」の意味に転じて、「長(おさ)」という語と同義になったようなケース。つまり、「県長」=「県令」という関係が生じたということだ。
(6) 仮借文字 ある語に当てるべき漢字がない場合に、本来の意味が違う同音の他の漢字を借りて当てるもの。食物などを盛る器の「豆(とう)」を「まめ」の意 味で用いるケース。
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(2) 指事文字
指事文字は、象形文字よりかなり抽象的につくられる。それを補うために、記号化や約束が幅を利かせることになる。
まず「一」から見てみよう。これは一本の横線で、ひとつを示す。しかし、ひとつという意味のほかに全部をひとまとめにする、いっぱいに詰めるなどの意も含んでいる。なお、イチは「壱」とも書くが、「壱」の原字「壹」は「壺」+音符「吉」で、壺にいっぱいものを詰めて口を閉めることを示している。証文や契約書で改竄や誤解を防ぐために、「一」の代わりに用いることがある。「二」を「弐」に、「三」を「参」に表記するのも、同じ理由からだ。
「一」「二」「三」の成り立ちはわかりやすいが、それでは「四」はどうか。「四」は指事文字ではなく、会意文字だとされる。「口」+「八」印(これについてはすぐ後で触れる)で、口から出た息がばらばらに分かれることを表す。つまり、分散した数を意味する。「1、2、3、いっぱい」という、あの心境だろう。
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添付5
古代漢字研究 ―漢数字の起源―
平成17年度茨城大学人文学科卒業研究
02L1126R 室井陽一 指導教員:加納喜光
1 序論
系統Aとは異なり、本系統では字形に一貫した規則性が見られない。中国では十進法が採用されるが、数字の字形を見る限り、五で一区切りつくため、五進法の要素もある。しかし五進法とはいえ、不規則な形である。下のごとく規則的であれば、起源の解明は困難ではないが、不規則なので困難を極める。
字形一二三亖×× 一× 二× 三× 亖|
数一二三四五六七八九十
視覚的観点からの検討だけで議論するのは無謀であろう。造字の段階ですでに存在した音声が影響する可能性を考えたい。字形以外に、音声がもつイメージにも注目しながら、考察を進める。本系統に属する五文字において、一貫した説は次の三説である。
①影山説:偶数と奇数に分ける。六と八は、両手の指の象形。五、七、九では、五が手の象形。七と九は、五の古形×の変化形[27]。
②唐漢説:片手で表した、さまざまな手まねの象形[28]。
③藤堂・加納説:数に転用した音声のイメージ[29]。
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3 六
藤堂・加納は、定説はないが、数えるときの手と音声の結合だとする。五まで指を折り、親指を立てるのが六である。その姿は盛り上がった形となり、陸や隆と同語源のliokで、数の六に命名した。高く盛り上がるイメージだけを用いたとみる[43]。しかし本説は、五まで指を折り、六のときに親指を立てる数え方が前提となる。六は、一の位において次のごとく位置づけられる。手の指で五まで数えた場合は、片手で一通り数え終えて、折り返しの一に当たる。仮に両手で数えたとしても、やはり第二の一に当たる。いずれにせよ新たに一本指を出す、つまり「盛り上がる」ため、陸(盛り上がるイメージ)につながるだろう。
添付6
「六」を手の指で表現するトライ
MM記
片手の五本の指全部を使いきり、あと一本を足しているという雰囲気は感じられます。
また、盛り上がった陸(liok)のイメージもあり、そこから「ロク」の発音につながっているという説もじっくり味わうことができる気分になります。
添付7
象形文字の秘密
「ハ」の検討-その17
今回は「ハ」について考えます。そのままの形「八」と「分」「半」の内容を辞書で確認しましょう。
「ハ」 部首解説:これを元にしてできている字はなく、文字整理の上から設けられた部首。文字構成の上からは、分ける、開く、背くなどの意を示している。
「八」 字義:やっつ。わかれる。
解字:指示。左右の両線が反って、互いに反発しているさまを示す。「はち」を示すのに片手の中三本指を曲げて親指と小指を立てて示した形が「八」の形をしていることからの借用。
添付8
「八」を手の指で表現するトライ
添付9
象形文字の秘密
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「九」 字義:きゅう
解字:象形。肘を曲げたさまにかたどる。
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添付10
内反肘変形、外反肘変形とは?
骨の成長が発展途上にある思春期までの子どもは、転んだ拍子に肘の周辺を骨折することが多くあります。その際、医療機関での治療が遅れたり、事後の経過が悪かったりした場合、後遺症として起こるのが内反肘変形・外反肘変形です。
MM記:線を引いて「九」の字を作ってみると、いかにも十から一本
の線が出ていて、引き算で九になるように見えます。
添付11
数詞からニッポン人を考える01年4月22日 萬 遜樹
「1・2・3・…」と数えるのに、私たちの日本語には二通りの数え方がある。「イチ・ニ・サン・…」と「ひ・ふ・み・…」である。私たち日本人には至極当たり前のことのように思える。ところがそうではない。例えば、英語やドイツ語に二通りの数え方なぞない。世界中の言語の中で、数について二通りの数え方を持つのはたった二言語だけである。すなわち、日本語と朝鮮語である。
(注)言うまでもなく、同一言語内の方言による違いや序数は含まない。また、英語内のラテン語彙など補助的な役割のものも除く。それでも大雑把な言い方に過ぎるのなら、同一の数を表す文字を読み分けるのは日本語と朝鮮語の二言語だけである、と申しておこう。
なぜ日本語と朝鮮語だけなのか。隣接する中国語との関係によるものである。中国語は、古代神聖文字の流れを汲んで現在も機能し続ける世界唯一の表意文字「漢字」に基づく言語である。西洋のエジプトやメソポタミアの神聖文字は失われ、表音文字のアルファベットにすべて取って代わられた。いまや世界に表意文字は漢字しかなく、しかもこれにどうしても依存し続けねばならないのは、中国語と日本語を残すのみである(その中国語も「簡体字」という脱「漢字」化を試みているが)。
中国とは言語帝国である。古代東アジア世界においては、特にそうであった。神聖象形文字として生まれた「漢字」=中国語は、周代・春秋戦国時代の俗化(=普遍化)と秦・始皇帝による統合化プロセスを経て、東アジアの普遍語となった。華北中原に発した「漢字」は、中国大陸全体、朝鮮半島、日本列島、インドシナ半島に拡がった。無文字段階の周辺地域はたちまち中国語化した。
早い話、これが「音読み」である。そしてこれによって整序されつつも同化されなかったものが日本語の全「訓読み」と朝鮮語の「数の訓読み」である。言語の保証には文字=書き言葉の裏付けが要る。漢字圏たる東アジアにおいては、いかなる「文字」を選んだかでそれぞれの運命が決まった。日本人は仮名、朝鮮人はハングルという表意文字を生んだ。しかし両国はこれに一本化できずに、中国語=漢字も保持した。これが「音読み」と「訓読み」の二重性を生むのである(ただし、朝鮮語の場合は、数詞だけだが)。
言語、そして「民族」に感傷は本来必要ない。なぜならそれらは始めからあったものではなく、「成った」後からの議論だからだ。ともあれ、日本語と朝鮮語は二重化したのである。「音読み」が本来中国語読みであることへの意識は私たちに乏しい。中国語=漢字はそれほど私たちの日本語の内部にある。次を見て頂きたい。
(漢字音)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十
北京語イー アル サン スー ウー リュー チー パー チュー シー
広東語ヤット イー サム セー ウン ロック チャッ パ カウ サップ
客家語イッ ニー サーム シー ウン ロック チット パット キィゥー サップ
朝鮮語イル イ サム サ オ ノク チル パル ク ジプ
日本語イチ ニ サン シ ゴ ロク シチ ハチ キュー(ク) ジュー
いずれも現代音ではあるが、古い中国語の音を残していると思われるのは客家語と日本語である。客家語は最古で漢の音、遅くとも唐の音を残す。日本語も南北六朝時代の音から唐の音までを残している。朝鮮語は、古い音からやや変化している。「中国人」が「北狄人」に何度も入れ替わった後にこそ、中国から大きな影響を受けたせいだ。現在標準語の北京語もそういう言葉である。広東語は、原華南人(非中国人)が客家を代表とする原華北人に教えられた言葉である。
この「音読み」は何を意味しているのだろうか。他でもない。かつて「日本人」や「朝鮮人」は、中国語を話した「中国人」であったということだ。この表現自体が自己矛盾的であることは承知している。日本も朝鮮も中国も未だなかったのだから。それから、近代国家の「一民族・一言語・一国家」なぞと言った虚妄に囚われないで頂きたい。かつての「文明的=中国的」ニッポン人は、普遍語の「中国語」と日常語の「ニホン語」の両方を使ったに違いないのだから。
添付12
切腹最中
って、別に「ただ今、腹を切っている最中」って訳ではありません。
本日のお土産。
新橋新正堂の「切腹最中」です。
その名の元も、このビジュアル。
どうよ?
ハラキリの後、いかにも臓物が溢れ出たり言わんばかりの、餡の量。
家族にも大ウケです。そのネーミングとビジュアルはさておき、甘党にはたまりませんなぁ~。明日のおめざにしよ~。
ところで、この切腹最中、上記のホームページから辿ると、面白い記載が。
切腹最中
お詫びに最適??
お祝いならお金だけでも・・・・
何かの不始末の時持っていくものに悩みませんか?
お茶・菓子折り等ございますが
そんな時には「切腹最中」
ちょっと怖いですが「詰め腹を切ってきたつもりでございます」
こんな使い道もあるのでは・・・・
お詫びの短冊をご用命下さいませ。
確かに、こりゃ使えるかもしれません。(笑。場合と相手によりけりだけど・・・)
あとは「今日は腹を割って話したき儀が・・・」なんて、掴みはオッケーでは?「地方発送も承ります」だそうですので、切腹覚悟で謝りに行かれる方はご活用ください。
ちなみにパッケージによれば、この新正堂のある新橋田村町というのは、殿中で刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭が、幕府に命じられて切腹した、田村右京大夫の屋敷跡に存在する和菓子店だそうです。