芭蕉が訪れた象潟にまつわるものに興味を感じられる皆さま
暑い最中に、”中国幻の美女を芭蕉も愛し、その地の象潟(きさかた)の合歓(ねむ)と隆起・心霊現象”を整理してみました。少しどぎつい感もなくはない、「心霊現象」とは、俳人の栗林さんが詠まれた、「猫の名を西施と呼ばめ合歓の花」に使われていた『呼ばめ』という言葉が、美女、「西施(せいし)」が使うように誘導したのではないかという疑念があることを指した言葉です。お楽しみ下さい。
2008年8月3日(日)
MM
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中国幻の美女を芭蕉も愛し、その地の象潟の合歓と隆起・心霊現象
2008年7月31日(木)
そもそもが中国通のI さんからの中国の春秋時代の幻の美女、“西施”を舞台に登場させた物語から出発し、I さん、私もそうでしたが、松尾芭蕉も美女が気になるらしく、この美女、“西施”を俳句に詠み込んでいた(「象潟や 雨に西施がねぶの花」)というところから思わぬ話の展開になっていきました。
芭蕉のその俳句が詠まれた象潟という地とは東北のどの辺りにあるのかに興味が移り、秋田県にある昔は松島と並びその美景を天下に誇っていた所だと分りました(添付1)。そういったことで、私は美女と結びつけられた象潟のある秋田県にいつくしみの情が湧く・・と感じた次第でした(添付4)。
そういった中で、たまたま昨日の社外の会合で秋田県ご出身の方にお目にかかり、この象潟のことを休み時間に話題にさせていただきました。その話題に何事にも積極的なK1さんが割って入ってこられ、この象潟こそ、私たちが議論していた、“隆起・侵食”(添付3)の格好の例というように話が進展し、K1さんは今でも美景の雰囲気を残しているというその地には2回足を運んだことがあるということでした。
そのようなことがあった日に帰宅して、今度は芭蕉の俳句を切り口とされて、K2さんからの象潟と合歓(ねむ)の花についてのメッセージが届いていました(添付4)。K2さんは俳句でも文学の世界でご活躍され、何件も受賞されています(添付5)。そういうK2さんなので芭蕉が訪れた地でしたので、やはり2回足を運んだことがあるということでした。
合歓(ねむ)の花が7月のはじめに咲いているというK2さんからのメッセージで、どのような花かに興味が湧き、調べてみたところ(添付2)、ユニークな花と感じ、どこで見ることができるかと思っていたところ、その葉の形から、子供時代に経験した触れると閉じてしまう「ねむの木」の葉ではないかと想い、家内に聞いてみたところ、YESということでしたので、私も近々に合歓の花探索をしておこうと決意しました。
K2さんの、“本歌どりというか、パロディですが・・” と言われての俳句、『猫の名を西施と呼ばめ合歓の花』・・の中の「呼ばめ」という言葉の使い方に疑問を感じたこともあり、そのような使い方があるものかどうかを探してみました。そうしたところ、漢詩、『万民愛岳飛,千古奇冤「莫須有」,活該油炸檜』の翻訳を、『岳飛愛し、千古の冤ぞ「でっち上げ」、さもこそ呼ばめ檜油揚』という事例(添付6)に遭遇し、俳句の世界では使うことのある表現方法だと認識しました。
この漢詩は、美女「西施」に縁の深い、西湖の名勝を詠んだ四首の中の一首。武将で愛国の詩人としても名高い岳飛の墓を詠んだもの(添付6)ということでしたので、何か美女、「西施」に、「呼ばめ」を調べてごらん!・・と誘導されたような心地よい気分に浸ることができた感じでした。
もっとも、その誘導の流れは、中国語ピンイン→ Iさん→西施→芭蕉→K2さん→M・・という流れとも言うべきものですが・・。別の流れとして、西施→西湖(美女の西施の“西”の一字を借用)→漢詩→日本俳句訪中団(添付6)→M・・というものもありかと・・。
MM
添付1
象潟(きさかた) 秋田県由利郡象潟町
象潟は『奥の細道』最北の地。芭蕉は「より北へ」との思いもあったようですが、ここできびすを返し、以後は日本海沿いに南下して行きます。
現在の象潟の姿。
水田になっている部分がかつては海でした。ちょうど太平洋側の「松島」を小型にしたような光景だったのです。
南北約2km、東西1kmの入り江に島々が無数に浮かび、八十八潟、九十九島の絶景の地として、松島と並びその美景を天下に誇りました。
しかし文化元年(1804)の大地震で海底が2m40cm隆起し、潟の海水が失われて現在の陸地になりました。水田のなかの美しい島々の姿が、いにしえを偲ばせてくれます。
芭蕉がこの地を訪ねたのが元禄二年(1689)のこと。残念ながら現代の私たちは、芭蕉が眺めたとおりの風景を観賞できません。つくづく百九十年前の地震が恨めしい・・。もっとも当時の人からしてみれば、あたらしく土地ができ、米をつくれるようになったのだから喜ばしいことだったのだろうけれど・・。
もし地震が起こっていずに、旧来の姿をとどめていたとしたら、今ここ象潟は東北を代表する大観光地になっていたでしょう。だとしたら観光客がワンサと押し寄せ、喧噪と俗趣味とが持ち込まれていたに違いありません。
それよりは変わり果てた光景を眺めながらイメージをふくらませ、在りし時をしのんでいるほうが、よほどのしあわせなのかなぁ・・と、つむじ曲がりな私は思ってしまうのです。
さて、三百年前の芭蕉さん。雨の降りしきる六月十六日(陽暦8月1日)、途中雨宿りをしたりしながら、ようやく塩越(いまの象潟の町)へ到着。
闇中に莫作(もさく)して「雨もまた、奇なり」とせば、「雨後の晴色(せいしょく)、また頼もしき」と、蜑(あま)の苫屋に膝を入て、雨の晴るゝを待つ。
翌日は見事に晴。舟を浮かべ、能因島や干満珠寺を訪れ、象潟の景を堪能します。
江の縦横、一里ばかり、おもかげ松島にかよひて、また異なり。松島は、わらふがごとく、象潟はうらむがごとし。さびしさに、かなしびをくわえて、地勢、魂をなやますに似たり。
<寂しさの上に悲しさの感じを加えていて、土地のたたずまいは(美女が)心を悩ますのに似て(憂いを含んで)いる>
添付2
合歓の木 (ねむのき)
・豆(まめ)科。
・学名 Albizia julibrissin Albizia : ネムノキ属
Albizia の名は、18世紀頃にヨーロッパにこのネムノキ属を紹介した、イタリアの 「Albizziさん」の名前にちなむ。
・開花時期は、 6/15頃〜9/5頃。7月後半頃は花が途絶えるが、8月になると再び咲き始める。
・夏の夕方に、かわった紅の花を咲かせる。
花は化粧用の刷毛に似ている。
・オジギソウの葉は触るとシューッと閉じるが、ネムノキの葉は触っただけでは閉じない。
夜になるとゆっくりと自分で閉じる。
それがまるで眠るようなので「眠りの木」、そしてしだいに「ねむの木」に変化していった。
・地方によっていろんな呼び名があるが、(ねんねの木、眠りの木、日暮らしの木・・・)
眠りを意味するものがほとんど。
「象潟(きさかた)や 雨に西施(せいし)がねぶの花」 松尾芭蕉
(”西施”とは、中国の春秋時代の傾国の美女のこと。花をこの美女にたとえた)
添付3
隆起と沈降 出典: フリー百科事典『ウィキペディア』
隆起(uplift)と沈降(subsidence)は地理学や地質学において対になって用いられる用語で、隆起とは地面が海面に対して高度を増すこと、沈降とは地面が海面に対して高度を減ずることである。
隆起により山、山脈が形成されることを造山運動と呼ぶ。
地殻変動、火山活動などによって地盤が絶対的に上昇・下降して起こる場合と、海面の下降・上昇によって相対的に地面の高度が変化する場合とがある。隆起が起こると侵食基準面が相対的に下降し、侵食力が復活する。
沈降によって海岸線が前進し海が陸に侵入することを海進(transgression)または沈水(submergence)、隆起によって海岸線が後退し海面下の地面が陸上に表れることを海退(regression)または離水(emergence)という。
新潟県にある粟島では1964年(昭和39年)の新潟地震の際に、島全体が1mも隆起したことが報告されている。また1974年(昭和49年)3月22日に「海底地すべり」災害が起きて、内浦集落の海岸が一晩のうちに大きく沈降し、多くの住居と完成したばかりの鉄筋コンクリートの村役場が海に飲み込まれた。
沈降によっては、リアス式海岸の様な地形が生まれ、三重県の志摩半島や岩手県の三陸海岸などで見ることができる。
また、氷河期には世界的に海退し、間氷期には海進するが、こちらは気象変動による隆起と沈降である。
添付4
K1さんからの返信メッセージ(2008年7月30日)
MMさん
西施の件、俳句が関係していますので、レスポンスしたくなりました。
象潟(きさがた)は松島とならんで、むかしは景勝の地でした。土地が隆起して、今は見る影もありませんが、蚶満(かんまん)寺に芭蕉の例の句碑があります。西施と雨と合歓の花との取り合わせが見事な句です。昔から文人墨客が訪ねる歌枕の場所でしたので、芭蕉も憧れて出羽三山のあと脚を延ばしました。
勿論私も2回行きました。このお寺は実に古い由緒ある名刹ですが、今は(のら?)猫が悠々と暮している「保護区」のような感じを受けました。結構、妖艶な猫なんです。
猫の名を西施と呼ばめ合歓の花
本歌どりというか、パロディです。7月のはじめは合歓が咲いています。では、また。
KH
転送
Iさん、
中国通のIさんより、”西施 (春秋時代の幻の美女で、いまでも 中国では美人の代名詞)”と説明されますと、どのような絶世の美女か・・と興味がわき、その映像を探索し、納得できるものに遭遇しましたので、写真にしてご紹介します。
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また、芭蕉が秋田県の象潟の美しさを、この中国美女になぞらえて詠んでいたということを知ると、秋田県にいつくしみの情が湧くというものです。
2008年7月29日(水)
MM
添付5
俳句の世界でご活躍の栗林浩さんの紹介:2006年3月25日のMメッセージより
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栗林さんは俳句の世界にのめり込んでおられ、雑誌「俳句界」の昨年6月号で、「白泉探訪」が第7回俳句界評論賞を受賞、更に昨年10月号で、「三鬼名誉回復裁判考」が第七回俳句界評論賞を受賞され、この度「俳句界」の2006年4月号に、『渾身の書き下ろしノンフィクション!「生くるべし〜魂の俳人・村越化石」栗林浩』が掲載され、栗林さんからご紹介されました。化石の本命は「英彦(ひでひこ)」だそうです。
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添付6
漢詩詞新聞12 文化交流漢詩詞結社葛飾吟社
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西湖景語四首録一 岳王墳 林林 北京
万民愛岳飛,千古奇冤「莫須有」,活該油炸檜。
岳飛愛し千古の冤ぞ「でっち上げ」
さもこそ呼ばめ檜油揚
西湖は中国屈指の景勝地である。この詩は西湖の名勝を詠んだ四首の中の一首。武将で愛国の詩人としても名高い岳飛の墓を詠んだもの。十二世紀に入ると宋王朝は遼、金、元と北方民族の侵入に悩まされ、遂に空前の繁栄を誇った首都開封を金に占領されて西湖畔の杭州に退く。南宋の始まりである。岳飛は度々金軍を破り武名赫赫たるものであったが、講和派の秦檜に謀反の意思ありと陥れられ捕らえられて殺された。
この詩は五七五で創られた漢俳で、一九八〇年大野林火を団長とする日本俳句訪中団の歓迎席で生まれた詩型。「?南地方で油条の事を油炸檜と謂う。檜は秦檜のこと」との註が有る。油条は中国人が朝食に食べるパンの油揚げの事である。莫須有は中国語で「でっち上げ」の意。活該「だからそうだ」の意。
林林先生は今年九〇歳を迎える中国詩壇の最高峰。中日友好協会の副会長で有り、日本の短歌俳句界にも多くの交友を持つ。この九月十六日葛飾吟社は、林林先生の求めに応え、北京で「迎接新世紀中日短詩交流会」を開く。(今田 述)